局長松尾の気まぐれ日記・・・2011年5月の日記

日本は1つ

注水止めたとか止めなかったとか
別にどっちでもいいけど
これの責任とって首相「やめる」のは
誰も止めないと思う。
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北大阪商工会議所青年部の有志メンバーで
被災地へのボランティアに行ってきました。

5月14日の夜出発して
15日は宮城県の気仙沼市の
「気仙沼中学校」「市民会館」へ
16日は福島県の郡山市の
「ビックパレットふくしま」へ
温かい「きつねうどん」の
炊き出しに行ってきました。



できるだけ経費をかけないように
車に乗り合わせ
交代に運転をすること14時間。

関東近くに入ると
今現在も高速道路には
亀裂や波をうっている場所が
たくさんあり
震災の爪痕を身体で感じながら
ほとんど眠る事もできず
現地入りしたのは朝の9時でした。



炊き出し準備に2時間ほどかかり
お昼前に炊き出しスタート!





うどん待ちに長蛇の列



綿菓子は子ども達に大人気





2時間ほどで完売に。



片付けたあと
津波被害にあった
港を視察に。







根っこから倒れる
街路樹



人が乗っていなかった事を
祈りたい車









陸前高田を案内する看板が
屋根と一緒に落ちている



火事があった気仙沼駅周辺
海が燃えた
あの現場





潮の匂いと
生臭い何かが腐った匂いと
ガソリンや油の匂いが
まじった
被災地の生々しい匂い。

悲しさを
感じる心まで
壊れてしまいそうな
すざまじい現実に
言葉がなかった。









その夜は
仙台に一泊し
朝早く起きて
若林区へ

海岸では
10メートルもの津波に
襲われた若林区

田んぼのあぜ道を逃げる車を
なめるように
津波が襲った場所



流れてきていたカルテらしき物

 

基礎しか残っていない家が
いっぱい



お風呂場だけが
残った家



介護ベットが
くにゃくにゃ



鉄筋の建物は
ダメージが少ないほう(?)
ネットで調べたら
舗装工事業の
ヤマトワーク(有)
だったらしい場所



唯一
何故か無傷に近い形で
残っていた祠があり、
私たちは
思わず車を降りた。





そして
郡山市のビックパレットふくしまへ。
こちらでは富岡町と川内村から
福島原発事故により全村避難している人たち

今もなお不自由な生活をしている。

富岡町の副町長さんと課長さんが
物資は豊富になったけど
避難当時から精神的には何も変わらない
現実のお話を伺った。





原発は絶対安全だと信じ込まされて
2、3日の避難だと信じて
何も持たず
着の身着のまま避難し
今になって
メルトダウンを知る町民村民。

ひどい風評被害とは聞いていたが
実際に福島ナンバーで県外に出ると
車に落書きをされたり
「放射能がうつる!」
なんて
心ない言葉で傷つけられている
現実があると。





気仙沼で1000食分の
おうどんのダシを注ぎ入れた
私の腕は
腱鞘炎になっていたので
郡山では呼び込みに専念した。



「大阪のおうどんです!
あったかいおうどんです!
きつねうどんです!!
どうぞお召し上がり下さい!!」
大きな声で呼び込みをし
同時に
「大阪はみなさんを待っています。
大阪にぜひお越し下さい!!」

「大阪おいでよ.com」
のチラシを配布した。



東北は
地元愛の強い地域なので
こんなチラシを配って
受け入れられるか
とっても心配だったが

「こんなおっちゃんでも
 やとってくれるかのぉ?」
「大阪は元気いっぱいで
 あっとうされそうだべ」
「私は昔大阪に住んでいたよ
 なつかしいなぁ。また行きたいなぁ」

とっても喜んで
ニコニコと
チラシを受け取って
おうどんを
受け取って
そして
食べてくれた。





良かった!!
無駄な心配しないで良かったんだ。
先の富岡町の副町長さんと課長さんも
「余ったチラシは全部置いて行ってください」
と言ってくれて
お言葉に甘えてごっそり置いてきた
そして
次の日には
さっそく問い合わせがあった。

小さなお子さんが少なかったので
綿菓子には大人も群がった


 
お手伝いに来てくれた
郡山商工会議所青年部



現地の新聞取材を受ける
食材提供者
恩地食品の恩地さん



実は今回は
その恩地さんの親友
川崎麻世さんとの
コラボボランティア
だったんですが
足の悪い方へ
おうどんを
配達する川崎麻世さん



麻世さん、男前でした!!



全ての行程を終え
片付け終わったら
もう夜の8時を回っていました。







帰ろうとした時
避難しているおじさんが
私の横へ来てしゃべりだした。

「おうどん、おいしかったよ」

私「大阪のおうどんはダシが薄くなかったですか?」

「おっちゃんは、本当は農家なんだ。
 ここへ来てからは、全然体を使って
 働いていないんだ。
 だから、大阪のダシが
 ちょうどよかったよ。」

涙が出そうになった。

「本当にありがとう」
と握手を求めてくれた。

「こちらこそ、最高の感謝の言葉をありがとうございます!」
と心で叫んだ。声には出せなかった。

そしてまた
車に乗り合わせ
約10時間かけて帰阪。
朝の鳥のさえずりを聞きながら
帰宅しました。

疲れてはいるけれど
充実した3日間でした。
無理したけど
行ってきて良かった!!
「日本は1つ」
本当に実感した。

そして、まだまだ
私たちに出来る事はあるはず。
現地で見てきた事
聞いてきた事
感じてきた事を
今後の活動に活かしたい。

「無傷の関西から
 あわれみではなく
 関西の元気を届けて欲しい」

とおっしゃった
郡山の関係者の言葉が忘れられない。
 
今、出来る事を
後悔しないように
実行して行きたい!!by局長@松尾
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注水中断しなかったのが事実ならば
吉田所長は日本一正しい判断をしたと思う。
「事件は永田町で起きてるんじゃない!
 現場で起きてるんだーーーー!!」